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無自覚は本当に罪だと思うんだけど、トリも無自覚すぎると思うんだ…
つづきからトリチア。
昔からやたらと異性に好かれるような男だった。
確かに顔立ちはいい方だと思うし、対応や物腰も柔らかくとにかく面倒見がいいので、評判がいいと他の編集の人から聞いた事がある。最後以外にわかには信じられない話だが、嘘を吐いているようには見えないのでどうやら本当らしい。
つまり世間一般的な男のモテる条件、というものを持っているのだ。それも自覚していないのだから、本人にその気は無くとも勝手に女性が落ちていくと聞いてなんとなく納得してしまった。
そういえば羽鳥から告白して付き合う、という話は今の今まで一度も聞いた事が無くて、全て告白されて付き合っている人もいないから付き合う、というものだった。
その時はモテる男はいいよなあ、と自らの現状に嘆いていた事もあったが、羽鳥に対して距離を置く事も、その逆も無かったのは、彼が一度も吉野からの誘いを断らなかった事が大きいのかもしれない。
彼女がいるというのに休日に誘えば応じてくれるし、大丈夫なのかと心配しつつも嬉しくて、何度も何度も遊びに誘っていた。今思えば彼女よりも彼女みたいだという皮肉も理解出来る。
お前は昔から羽鳥にべったりだったじゃないか、そう柳瀬に言われてから吉野はひとり過去に意識を戻していた。
とはいうものの、気付けば漫画ばかり描いていたような、とにかく漫画一色だったのではっきりとは覚えておらず、断片的に記憶を掘り起こしているようなものだ。
それでも柳瀬の言うとおり、自分の記憶だというのに羽鳥の姿がちらついて、あながち彼の言っていた事が本当だったのだと思い起こされて恥ずかしくなる。
恋愛感情は無かっただろうが、ここまで羽鳥に依存していたのだと思うと耳まで熱くなってきて、吉野は枕に顔を埋めて叫びたくなる気持ちを押し殺した。
今ではこれに加えて恋愛というややこしいものまで増加されてしまった為に、良くも悪くも羽鳥の事ばかりだ。ただでさえ担当と漫画家という仕事での近距離もあるのに、ここまで近い存在は親以上だ。
何が悔しいかといえば、それだけ近い距離にいる事を嬉しいとしか思えない甘ったるい神経を持っていた事だ。これには流石に吉野自身も呆れてしまった。
今までだって人並みに彼女がいた事もあったし、好きだと思ったのも女の子だった。
だからこそ、以前から羽鳥をそういう目線で捉えていたかと思えばそれは無いといえるだろう。
ただ、恋愛という気持ちが自分の中でどういうものなのかを考えた事は無かった。人として好きなのか、そういう気持ちを持っての好きなのか、その境目が改めて分からなくなってきている。
今までだって羽鳥の事を好きだったとは思う。ただ離れて欲しくないと思った事が、それは友情以上に感情を持っていたからなのか、大事な友人だからなのかまでははっきりしない。
ぐるぐると駆け巡っても同じ考えがループするばかりで、一向に答えに向かっている気がしなかった。
そもそも吉野は考えるよりも動くタイプだ。漫画においても突っ走るタイプで、それを上手くまとめてくれているのは羽鳥の方だ。
こういう所も含めて、羽鳥に依存しているといえるのだろう。
そうして何度目かも分からない溜息を零した瞬間、傍に投げ置いていた携帯電話がけたたましい音を立てた事で吉野の意識は一気に現実へと引き戻された。
目覚まし代わりに使う事も多いので、締め切り前の音量は最大に設定済みだ。ただ、締め切りが過ぎれば大抵は普通の音量へと戻すのだが、すっかり忘れていたようでその音は煩く鳴り響いている。
「はいはい、今出ますよ!」
うっかり街中で鳴らなくて良かったと胸を撫で下ろしながら通話ボタンを押せば、途端に聞きなれた声が響いて、吹き飛びかけていた思考が急に逆戻りしたかのように顔が熱くなった。
「ああ、俺だ」
「…え、と、トリ…な、何?」
先程まで羽鳥の事を考えていたせいだろうか。
顔がやけに熱い上に、声が明らかに動揺してしまった事に気付く。これでは流石に怪しいだろうと自覚しつつも、それらを隠すような事が出来ない性格のせいでそれもうまくいかない。
ばくばくとやけに煩い心臓を押えようと、シャツを強く掴みながら携帯を押し付ける自分の姿は、ちょっとばかりの余裕も無かった。
「今お前の部屋の前にいるんだが、合鍵を家に忘れてきてしまったんだ。悪いが開けてくれないか」
「え?ああ…うん、分かった」
吉野の態度には特に触れてはこなかった事に安堵しながら、携帯の電源を切ったはいいものの、いやいやいや、と強く首を横に振った。
家の前にいる、だって?
改めてその事実に緊張しながら、いや何を緊張してるんだ俺は、と自分自身に何度目かも分からないつっこみをしつつも漸くベッドから腰を下ろし、ばたばたと玄関へと向かっていった。
トントントン、とテンポ良く音が刻まれていく姿を横目に見ながら、吉野は溜まっていた漫画をぺらぺらと捲っていく。
ふろくの原稿を取りに来たついでに食事を作っていってくれるらしい羽鳥は、いつもより体調は良さそうだった。入稿を終えて暫くは遅くもない時間に帰れているのだろう。
尤も、羽鳥に無理をさせてしまっているのは他でもない自分自身なのだけれど。
「つーかさぁ、インターホン鳴らしてくれれば良かったのに」
「……」
なんとなく呟いた一言に、羽鳥の手が止まった。同時にわざとらしく大きい溜息を吐き出しており、吉野は思わず開いていた本に顔を埋めて逃げ込む。
何かまずい事でも言ったのだろうかと己の発言を思い起こすも、変な事は言っていない筈だ。すぐに調理が再開されていたが、沈黙は先程よりも重いものになってしまって、口を開く事が出来ない。
「今壊れているから使えないと言っただろう。もう忘れたのか」
「…あれ、そうだっけ」
「嘘だと思うなら自分で確かめて来い」
仮にも吉野の部屋だというのに部屋主よりも把握しているというのはどうなんだ、と思いつつも今更かもしれない。
冷蔵庫の中にある物は九割がた羽鳥が買い揃えたものだし、油や調味料の場所も正直分からない事の方が多い。何度かは自分でも作ってみようかと挑戦した事はあったものの、どうにもこの指先は漫画を描く事以外出来ないようだった。
それに不得意な事を練習するよりは漫画を描いていたり話の構想を練っている方がよほど面白いし楽しい。
好きな事しかしたくないというのは甘えかもしれないが、結局のところ吉野は結果が出ているからだろう、その傾向が他の人間よりも強い。
そしてこんな甘えたを、羽鳥はこれ以上無いくらいに好きだというのだから驚きだった。
普通なら面倒臭がったり嫌気が差すもんじゃないのかと、自分でも自覚する程にだらしのない人間だとは思っているのに、全くもって不思議だ。
だからこそ、どんどん羽鳥に甘えてしまうし、依存してしまうんだろう。
勿論全て彼のせいにする訳ではないけれど、その一因は羽鳥も担っているに違いない。甘やかされて甘えない人間がいればぜひ見てみたいものだ。
しかも作ってくれる料理が美味しかったら、誰だって落ちるに決まっている。相手を落とすにはまず胃袋から、という言葉だってあるぐらいなのだから。
―…いや、決して羽鳥のせいにする訳ではないが。決して。
「俺って思ってるより羽鳥にべったりなんだろうなぁ」
ぼんやりとそんな事を呟いたのは、半ば無意識だった。
驚愕したような表情でこちらを振り返る羽鳥を見て気付いたくらいなのだから、相当だろう。
思わずなんでもない、と撤回しようと口を開くもじわじわと恥ずかしさが広がって言葉に出来なかった。鈍感と自覚はしてるとはいえ、流石にこれは恥ずかしい。恥ずかしいにも程がある。
普段から羽鳥に対して自分の感情なんて伝えた事は無かったから、余計かもしれない。かといって、こまめに羽鳥に対して伝えたい気持ちがあるかといえばそういう事も無くて、吉野は言葉にならない言葉で必死に話を繋げていたけれど、正直頭の中は真っ白で何も考えられない。
「あ、えっと、べったりというのはそういう意味ではなくて、」
「ならどういう意味なんだ」
「…それは、だな」
前はなんて事無かったであろう一言も、最近では変に意識してしまって恥ずかしくてたまらない。三十路間近の男で、しかも少女漫画を描いているというのにこれはどうなんだろう。
今までも恋というものはしたつもりではいたけれど、こんなにも切羽詰るような感情は初めてだった。相手が羽鳥だと思うと、これ以上ないくらいに照れくさくてたまらない。
「あ、そう、優!優に言われて」
「…柳瀬?」
言葉と共に止まる手の動きに、一気に青ざめていく。
この男はかなりのやきもち焼きな上に、彼の中でその名前はブラックリスト入りしているらしい。ほんの少し話題に出すだけでも不機嫌さを隠そうともしない。
柳瀬の事はアシスタントとしては認めているかもしれないけれど、個人としてはまた別のようだ。確かに恋人に言い寄る男にどうして好感なんて持てよう。
「えっと、その…優に、お前は昔からトリにべったりだったって言われて」
語尾がだんだん小さくなっていくのは自覚していたけれど、こういう事を自分で言うのはなかなかに恥ずかしい。
これでは好きですと言っているようなものではないかと、視線だけが逃げ惑うが、痛いくらいに突き刺さる視線を無視する事が出来ずに再び口を開いた。
「…それについて色々考えてたら、ああ確かに、って思って」
「………」
「あ!でもお前にも一因はあるんだからな!」
「俺に?」
「そうだよ、トリが必要以上に甘やかすから、俺だって甘えちゃうんだろ!」
言いながら、これでは全て羽鳥のせいだと責任を押し付けているようなものだったが、一度言葉にしてしまったのだから今更撤回する気にもなれない。けれど、当然本心ではない。
ただ、押し付けてしまいたい気持ちが少なからず吉野の中にあったのは事実だ。羽鳥が構うから、と免罪符を叩きつけて逃げて、自分はそんなにも彼に依存していないと逃げ切りたかった。
…筈なのに。
「俺が甘やかす事でお前が俺に依存するなら、いくらでも甘やかしてやるよ」
「な…っ」
人のせいにするなと怒られるのかと思いきや、あまりにも斜め上の言葉に二の句が継げなくなってしまった。
どうしてこの男はこういう恥ずかしい言葉を素面で、それも真顔で言えるというのだろうか。
今までも数々の言葉を浴びせられてきたけれど、益々それはレベルアップしているような気がするのは吉野自身の気持ちの変化も伴っているからだろう。
思わず逃げ出したくなる気持ちを必死で堪えるも、体の力はすっかり抜け落ちてしまい、テーブルに突っ伏してしまった。
恥ずかしいと思うと同時に、それ以上に甘美な気持ちになってしまう自分自身に耐えられない。
これ以上はもう口を開かないでくれ、そう本気で訴えてもやめてはくれないだろうこの男に、嫌気がさす程にべったりな現実に、ますます気が抜けそうも無かった。