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千秋→トリへの意識的なアクションが出来ない



トリチアです


 いくらか前の夏、半ば強制的に実家へ帰った事がきっかけとなり、時折実家へ帰る事が多くなった。とはいえ仕事でほぼ埋まっているスケジュールの合間をぬって帰るので、そう頻繁に帰る事は出来ない上に、一人で帰ってもつまらないからとあまりにも子供染みた理由により羽鳥が実家へ帰る際、一緒についていくという事が殆どだ。

 子供じゃないんだからたまには一人で帰ったらどうなんだ、と呆れられた事もあったけれど、何も無い実家に一人で時間を潰すという事はひどく億劫だった。

 仕事柄のせいか、以前より引きこもりがちな性格になりつつあったが、やはり一人はつまらない。家族と話していても最近は将来の事ばかりでげんなりしてしまうので、あまり深く会話をしたい気分でも無かった。




 実家に軽く挨拶を済ませた後、逃げるように羽鳥の家へと転がり込んだのだが、しんと静まり返っていて物音一つすらしない。先に家に戻っていると言われていたし、羽鳥の性格からして真っ直ぐに帰宅する筈だろう。それに、鍵も開けたままだ。

 足元に目を落とせば見慣れた革靴が置いてあったので、どうやら確実に帰宅はしてはいるようだった。



「トリ?いるんだろー?」




 乱暴に靴を脱ぎ捨てた後、きょろきょろと見渡しながらリビングに向かうが姿は見えなかった。

 水槽を覗き込めばまばらに浮かんでいる餌があり、確実に帰宅しているようだ。自分の部屋にでも戻っているのだろうかと階段に視線を移すとその場から離れた。

 勝手に冷蔵庫からペットボトルのお茶とコップを二つ手に取ると階段をずかずかと上がっていく。学生時代は散々入り浸っていた吉野にとって、羽鳥の家は自分の家のような感覚だ。 

 両親はまたもや旅行に行っているらしい、いつまで経っても仲の良い夫婦を見ているから、その息子から伝わる愛情も大きいのだろうか。



「入るぞー、…トリ?」




 腕の中にペットボトルを抱え直してドアノブを回せば、見慣れたシンプルな部屋が広がった。いつ見ても物が少ない、羽鳥らしい部屋は定期的に親が掃除をしているのか、突然訪れても埃一つ無い綺麗なままだ。

 そしてその部屋の主といえば、すっかり狭くなったベッドの上でらしくもなく寝てしまっていた。生活が不規則になるからといって、昼寝だけはしないような男だったというのに珍しい事もあるのだなと思わずその場に立ち尽くしてしまう。

 余程疲れていたのだろうか。あまりに物珍しい光景を横目で見つつ、なるべく音を立てないように手に持っていたものをテーブルに置くと、そろそろと慎重な足取りでベッドの脇に体を寄せた。

 定期的に呼吸を繰り返している羽鳥にそっと顔を寄せると、改めてその風貌にどきりとさせられてしまう。



 学生時代、やたら色めきだつ女子達の気持ちがあの頃は理解出来なかったけれど、こうして見るとそれも頷ける。これなら恋愛に敏感な思春期の女は放っておかないだろう。

 加えて、彼は紳士的だった。無意識だったせいかとても自然に、そして相手が望む事をしてくれていた。中には疎む人もいたかもしれないけれど、あの頃から羽鳥の隣にいる事が誰の隣よりも心地が良かったのを覚えている。




 無意識に伸びた手は、するりと頬に触れて、すぐに離れた。けれどもう一度、ゆっくりと触れた首筋は自分のものよりもがっしりとしていて、少しだけ羨ましい。

 今度はその場に立ち上がるとゆっくりと羽鳥の体を跨ぐようにベッドへ上がっていく。ぎしりとスプリングが音を立て、ベッドが少しばかり沈んだが、どうやら起きる気配は無いらしくほっとして胸を撫で下ろした。




 何がしたいんだろう、そう誰に尋ねるでもなく浮かんだ問いは、答えが返ってくる事は無い。欲しいなんて思いもしないけれど。

 ただなんとなく、もっと顔を近くで見たくなって、触れたくなってしまった衝動的なものだという事だけは理解出来る。これが本能というのなら、そうなのかもしれない。

 ゆっくりと顔を近付けて、息が重なる。自然と、普段感じている羞恥だとかは感じなくて、瞳を閉じようとした瞬間。




「―――…っ!」



 はっと我に返ると、光の速さで体を離した。



 握る手のひらは、気持ち悪いくらいに汗ばんでいる。


 そして数秒ほどその体勢で呆けた後、自らの行動を自覚するなり一気に顔が赤く染まった。見なくても分かるくらい、顔が熱くて蒸発しそうだ。

 見下ろした先、羽鳥の起きる気配が無かった事だけが救いだ。もしこの場で起きていたら、きっと恥ずかしさで死ねる自信がある。

 逃げるように視線を背けては、やり場の無いもやもやとした感情をどうしたらいいのか分からなくて困惑する。こんなにも深く触れる事を躊躇ってしまうのは、きっと前にも後にもこの男だけだろう。




「…アホくさ」




 勢いよく首を振ると、そのままなだれ込むように体を預けた。定期的に流れる心臓の音が不思議なくらい心地良い。がっしりとした筋肉から伝わる体温がとても落ち着くようで、意識がぼんやりとして霞んでくる。

 そういえば、昨日は遅くまでふろくのカットを描いていたので睡眠時間があまり取れていなかった。日頃忙しなく動いていたので、こうやって何も考えずにのんびりとするのは久々かもしれない。

 そんな事をぼんやりと考えながら、ゆっくりと閉じられていく瞼が完全に降りるまで、そう時間は掛からなかった。



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